四つ葉のクローバー

3年前、研究室の入口にあるクローバーを見ていたら、四つ葉のクローバーを見つけた。当時46歳だったが、人生で初めて見つけた四つ葉のクローバーだった。それから時折足下を観るようになり、何度も四つ葉のクローバーを見つけるようになった。これまで気にもしていなかったが結構四つ葉のクローバーはあるもので、担任していたクラスにラミネート加工して飾ったり、学生や知人にありかを教えて摘んでもらったりしていた。

所詮「気休め」なのだが、そういう気休めぐらいないとこの世の中は渡ることはできない。50前のおっちゃんでも、こういった気休めがないと生きていけないことは山ほどある。茶柱に猫のくしゃみに虹を見つけたり、こんなことで世の中が今日一日ハッピーに過ごせるのなら、それもまた良しだ。

さて、実は四つ葉のクローバーは、遺伝子異常なのだと『チコちゃんに叱られる!』で知った。人間が踏むことで、遺伝子に傷がつき、その結果三つ葉のクローバーが四つ葉のクローバーとして葉を開くのだという。なんだか奥深い気がする。「なんだか」で片付けてよい話ではないのだが。だが、「幸せ」はたしかにそういう「傷ついた後」に突然登場するなぁ、とこの50年近い人生で思ったりもする。

「幸せは苦労した人のところにやってくるから文句をいうな」ではない。絶えず人生と向かい合い、例えば文句を言い続けたり、変えようとすることの中にこそ幸せの本質があると思った。

コロナ禍で傷つけられている人々、自主避難者の方々、ときおりニュースで流れてくるモンの状況、ウイグル、香港、ミャンマーの状況などなど世の中の人々の苦しみは筆舌に尽くしがたい。そんな苦しみの多い世の中で、「耐えて忍ぶ」ということを是認する気はさらさらないし、声を上げやすくするべきだと思うし、あれこれについて文句も言いたい。踏まれたクローバーが生命力をもって絶えず葉を広げるような「問いかけ」の中に、辛い経験は四つ葉のクローバーとして葉を広げるのだと思う。

残念ながら僕には四つ葉の葉は開いていない。踏まれた記憶は数多くあるのだが、問いかけが圧倒的に足りない。まだまだ人生と闘っていない。

ふと、ニュースを見ながらそんなことを考えた。

主の平和。

※どのニュースかはいろいろと差しさわりがあるのでやめておきます。

都城工業高等専門学校准教授(法学)

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