博士・・・つづき

 

「100人の博士」の話を「ちょっとおもしろいから」といって取り上げましたが、少々説明不足でした。

私自身は最後のオチの数字については、別に負け惜しみでも、うっかりミスでもなく、「こりゃオーバーだなぁ」と思っていました。作者である大学関係者の自嘲ネタということで、少々オーバーな表現であるだろう、と思っていたということです。ひいては、大学関係者ならこの数字が誇張されていることはわかるのだという前提でとりあげました。

ただ8人の自殺者という表現はオーバーにしても、自殺者(未遂者)が多いというのは実感としてはわかる話題です。それが個人的な問題に端を発するのか、それとも彼、彼女と大学院をめぐる状況の中で「殺されてしまった」のかはわかりません。ただ、「実感としてはよくわかる」としかいえません。

ところで、JREC-INという研究者の求人サイト内「求職研究者情報」を見ると、これに登録している人数はかなりな数に上っています。このサイトには現職の先生方も登録できるため(私自身は登録していませんが、もう少し考察して登録しようとは思っています)、すべてが博士課程修了者であるとはいえないのですが、問題の一端を見ることはできるかと思います。

「とにかく職がない。しかし、博士課程修了者は大量に作り出されている」という感想は、大学に籍を置いているひとならば誰でも持つのではないでしょうか。

また研究者個人の特性を問題にするのも、気持ちとしてはわからないはありません。
5/12づけの「ぷらたなすのひとりごと」を読むと、企業の面接官である著者が理系博士崩れの方と面接をしたところ、DNAのらせん構造についての研究をされている方が、長々とその説明をされて辟易したという話が掲載されています。
くどいようですが、博士課程の学生(ひいては院生)のすべてがコミュニケーションスキルに問題があるわけではありません。ですが個人的な経験の範疇で言えば大変うなずける話です。「すべてではないけれど、大変多い」と。

こういう例は、決して理系だけではなく、むしろ私の個人的な関係では、文系のほうがよりキツイ感じがします。

5/23日現在で先のJREC-INの求職情報で「政治学」の職を希望している方を探してみると、一番上位に
「歴史家、国際政治学者として著名なE.H.Carrを中心とした国際政治学の研究」を「研究分野」に登録されている方がヒットします。私は無学な人間ですが、こんな「研究分野」初耳です。

いうなれば、マルクス研究者が「20世紀の社会科学に大きな影響を与えたマルクスの研究」なんて「研究分野」に書くような単に気持ち悪い「アブナイ」人です。特定の思想家・学者を研究することはもちろん悪いことではないのですが、「著名である」ということしか自分の研究対象を表現できないというのは、コミュニケーションスキルにかなり問題があるでしょう。研究以前の問題ですが、こういう博士課程の院生は決して少なくないとも思っています。

「研究者になれる/なれない」というのはマーケットシステムの問題だというのが私の意見ですが、この問題には「研究者になれる/なれない」という軸に加えて、「社会人になれる/なれない」という軸があり、これが少々混乱を招いているのかもしれません。こういうのは実は四象限図ですっきり書けるのかもしれなくて
(今まともなエディターがないので、羅列しますが、)

1 研究者になれ、社会人になれる
2 研究者にはなれないが、社会人になれる
3 研究者にはなれるが、社会人にはなれない
4 研究者になれず、社会人にもなれない

という区分ができると思うのです。1-2の両者を隔てるのはマーケットシステムのもたらす偶有性、すなわち「運」だとしか僕にはいえません。僕は自嘲的に「社会不適合者」と自己紹介してておりますが、自分に「研究者の才能」があったかどうかはわかりませんが、昨年の就職活動を通してみた結果からすると会社に要求される能力はかろうじて持っていたようで、1-2のところをうろついていたことになるのかもしれません。
ただ、別の軸にある1-2と3-4とを隔てるものは大きいと思います。先にあげたぷらたなすさんのところで紹介された理系博士崩れさん、そし「著名な○○○○」を研究されている方などは、研究者の能力以前に「社会人としての能力がない」方なのかもしれません。そうしてそうした人々を大量に受け入れるのが現在の大学院のシステムなのだという感想も持ちます。

加えて世の中の「研究者」には、3のカテゴリーに属するいわば「世間知らずの研究者」なんてのも大量にいるような気がします。非常識な研究者っていうのも、実はこれもまた私自身の個人的な経験の中ですぐにリストアップできそうなぐらい・・・でもこのことこそが今の日本の研究者業界の病理なのかもしれませんが。

・・・くどいようですが、僕が研究職に就くことができたのは、僕が優秀だったからではありません。単なる偶然なのだと今でも思っています。決して誇張でもなく、遠慮しているのでもなく。

追記

だーっと、書きましたが、一つ考察忘れがありました。

それは「社会人になる」ということについての考察です。先の文中では「社会人になる」ということを、「研究職以外の職に就く」という意味で使用していますが、そもそも「研究職以外の職に就く」ことがいいことなのかどうか、例えば無産主義の立場をとる人などについては考察が不足しています。

「研究者になりたいけれどなれなかった。でも、社会にでるという選択を意識的にとらない。」という道もあるのですが、そこまで話を広げるつもりはありませんので、そっち関係のつっこみはご勘弁ください。私自身は、「社会にでない」という選択肢も十分にありだとは思っています。もっとも私の場合は莫大な借金のため、他に選択肢がないので、「社会にでざるえなかった」というだけなのですが。

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