さいならチェンマイ

朝9時半、BRJのKさんが引っ越しの手伝いにピックアップトラックでやってきてくれた。食堂のおねにいさんをはじめ多くの人たちが見送りに来てくれて、感謝ばかり。この年になるまで気づかなかったのだが、僕は結構世渡りが上手いのかも知れない。お世話になったおじちゃんおばちゃんに感謝しながら、そしてみんなと手を振りながら2年間生活を送ったランナーコンドーを離れる。別れというのはいくつになっても、どんな形態でもつらい。おじちゃん、おばちゃんたちからおわかれにお菓子をもらう。本当にありがとうございました。

またKさんには運送会社のほか、銀行、空港と3時間近く彼の時間を奪ってしまい、せめて食事代、ガソリン代だけでもと思っていたら、息子のS君と一緒に「おまえはピーノーン(兄弟)だからいいんだよ」っていって受け取ってくれない。互いに空港で泣きながら別れる。

が、問題はここからで、僕が購入したチケットは最近発売された日本の航空会社の早割のようなタイプで、時間は19:30で固定されていた。そのため、7時間近く空港で待つ・・・には長すぎるため、荷物だけ先に預けて市内の映画館に戻る。そこで観たのは話題の『The Passion』。タイトル通りキリストの受難を扱った作品で、これをみたブラジルの牧師がショック死したという曰く付きの作品であり、現カトリック教皇のヨハネ・パウロ二世は聖書通りに正確に再現したとべた褒めの作品。

たしかに、映像自体はショッキングで、見ていて何度も目を閉じてしまう。内容はというと、たしかに少々過激かなと思ったりもするけれど、記述に忠実に基づいていて、聖書のアポロクリフォスにも考慮してヴェロニカの布やロンギヌスの槍もちゃんと登場する。メル・ギブソンって、こういう作品も撮るんだ、と感心することしかり。

そして今更ながら気づいたのは、実は聖書を読んでこういうイメージを描くことができるんだな、ということだ。一つ一つの文言からこういった映像作品にまで浄化させる力は僕にはないのだが、聖書を丹念に読まれる方は、こういった映画によらなくてもこれらのシーンが目に浮かぶんだろう。太宰治は何年もかけて聖書を(それもマタイ福音書だけを)読んだということだがそれもすごいことだ。

そのあとしばらく時間をつぶし空港へ。久しぶりに思い立ってチェンマイ空港内のレストランでカオ・ソーイを食べる。空港内のカオ・ソーイは、大変とろみがあって肉ももも肉一本をどーんとつかっていることもあって大変美味しい。パータン通りのカオ・ソーイよりも旨い。チェンマイに住所を移していなかった時は、空港でカオ・ソーイを食べながらビールを一杯飲むのが一つの儀式になっていた。その儀式も久しぶりに再開だ。

夕方離陸した飛行機はゆっくりとチェンマイを離れ漆黒の空へと消える。空の上から眺める村の姿もひさしぶりで、でも多少土地勘も加わったため、村の灯りを便りに、だいたいどの村なのかがわかるようになっていた。また来ます。

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