『風立ちぬ』で語られなかったもの

妻とスタジオジブリの新作『風立ちぬ』を観た。

率直な感想として、商業的には成功しないのではないかと思った。ファミリー向けではないこともあるが、それ以上に「優しくない」と思った。もちろんよい意味で。

「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」作られたこの作品は、堀の『風立ちぬ』のモチーフの中に、堀越二郎という技術者という素材をうまく当てはめることに成功した作品だと思う。そして、宮崎監督の「敬意」がよく伝わる作品であったと思う。主役の声優として庵野監督をキャスティングしたというのも、「敬意」の表し方として、最高の表現方法だと思う。

この物語にはあまりにも「語られないもの」が多すぎる。第二次世界大戦の「帰ってこなかった」ゼロ戦のパイロット達の苦悩、貧しい人々など、宮崎駿の描く世界のフォロワーを対象とした、一定の「教養」を前提とした人々に向かって描かれた世界であったように思う。

もちろん、そういった「教養が前提とされている」ことを非難しているのではない。それは意図的に「教養を語らない」ことによる効果を狙ったものであるように思う。第二次世界大戦について、それぞれの「教養」を語ることによって生み出された諸々のイデオロギーの対立が、今日どれだけ不毛な結果をもたらしているかを思い起こせば、第二次世界大戦について個々の物語を極めて個人的な一技術者の私生活を通して、しかも当時の世情を最小限度に描くことで、対立するイデオロギーを全て受け入れてしまおうとする立場は物語を広く伝えるためには極めて有効である。

例えば、海軍の主力戦闘機として活躍したゼロ戦によって命を落とした多くの兵士(日本軍だけでなく相手方の兵士も)がいたことを全面に出せば、兵器としてのゼロ戦を生み出した堀越二郎について非難する物語を書くことも可能であった。もちろん戦後の国内初の旅客機YS-11の開発チーフとして活躍した堀越二郎を強調し、戦後の日本産業界の方向性を切り開いた人物として描くことも可能であった。だがそういう書き方を宮崎監督は行わなかった。

堀越二郎への「敬意」を、宮崎監督は、戦争についての是非に関する劇中の堀越が巻き込まれることとなった諸々の教養的知識を描くことを避け、極めて個人的な堀越の生活の日々の様子(もちろん創られた物語)を描くことで表現した。それは受け手の我々に、「個人的な生活が極めて微妙な社会的・政治的バランスの上に成り立っている」という共通の基盤が存在しなければ成り立たない物語だろう。特にこの作品では「愛」という陳腐なものとして語られすぎるものについて、受け手の我々がまだかろうじて共有しているであろう感情を前提として、物語が進んでいく。我々は先の大戦についての評価で対立することはあっても、「愛」のために苦しみ、哀しみ、喜ぶ存在なのであるということを前提とした物語だった。

この数週間の選挙をめぐる様々な発言を聴きながら、そうしたイデオロギー的な発言の多くがその実「優しさ」を強調していることを実感していた。実際の所、それらの優しさが「地獄への道は善意で敷き詰められている(The road to hell is paved with good intentions)」という言葉にあるとおり破滅の道を歩むような気分にもなり、加えてその優しさの方向が中小企業に向いているのか、被災者に向いているのか、経団連に向いているのか、護憲派に向いているのかという違いはあるのだが、どの候補者も一所懸命に「優しさ」をアピールしあっていた。もっともそれぞれの「優しさ」を向ける対象と「優しさ」が向けられなかった対象との間で対立を生み出す様には正直うんざりしていたけれども。だからこそ「誰に向けて優しさを語るか」ということ以上に、我々が「優しさ」を超えて、繋がることができる基盤があるとするのなら、その共通となる基盤をもう一度確認しようとする行為は必要なのではないかと感じた。

こういった時代だからこそ「優しさ」を必死に押しとどめ、「優しくない」(と同時に厳しくもない)感情を土台にして物語を淡々と描くことは重要なのであろう。そして宮崎監督はそういう意図でこの作品を描いたのだろう。

ただし、そういした作品の意図を表現するには、宮崎監督特有の飛行機オタクっぷりと、うすーく流れる男根主義の匂いは、邪魔をしていたのではないか。天才技術者という背景がなければ、(天才技術者だけではなく父親が風の谷の村長であったり、ラピュタをおっかけていた人物であったり、伝説的なパイロットだったり、魔法使いだったり)A boy meets a girl.的な宮崎監督お得意のストーリーラインが成り立たない。
そしてこれは落語と同じで、宮崎監督の映画はもはや日本の伝統芸能化したのだ。

加えて「語られる」ことに慣れすぎてしまった視聴者を、「語らないこと」によってどれだけ惹きつけることができたかも評価が分かれるところだろう。「優しくない」映画はなかなか解ってもらえない。

だが、そういったことをさておいても、観た方が良い映画である。小さな子どもには今はわからないかもしれないが、登場する感情の表現(病床の妻の手を握る、といったことなど)が、いずれわかる日が来る。ゆっくり時間をかけて消化しておけばよい映画だってある。握った手と手で伝えられることもある。そんなことがいつかわかる日が来る。そして、「優しくない」映画(言い換えれば「よくわかんないかもしれない映画」)を観るタイミングは、ブームに乗じた今しかない。

「風立ちぬ」はそんな映画だった。

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